昭和五十七年一月二十日 朝の御理解
x御理解第十五節 「氏子が真から用いるのは神もひれいじゃが、寄進勧化をして氏子を痛めては、神は喜ばぬぞ。」
信心の稽古をさせて頂いて、本当に微妙なというか、まあ今の言葉で言うとデリケ-トです。信心ぐらいデリケ-トなものはありません。それこそ心一つでと言われるのですからね。その心が弱々しい心であったり、生き生きとした心であったり、本当に有難いという心であったり、暗い心であったり、それで神様に通う、通い方が変わって来るんです。
昨日、佐田秀紀先生の家内、紀子先生がここへ出てまいりましてから、只今、皆それぞれ御用頂とります。洗濯の方の御用を頂いとるんだそうです。子供がおりますから、子供を中心にしたが本当でしょうかと言うお伺いをするんです。「そうなあ、それはなあ、子供の事は神様にお願いをして御用の事を中心にしたがいい。かもうてはならんというのでも、放任しとってよいと言うのでもない。けども二つ並んだ時には御用の方を先に取って、子供は神様どうぞよろしゅうと言ってお願い、それの方が本当だよ」って、まあ言うた事ですけれども。
今日の御理解を頂きますね。寄進勧化をさせて、という、例えばほんなら、氏子にお供えをせよ、お供えをせよと言うたのでは神は喜ばぬ、ね。けれどもここに、真から用へるのは神もヒレイじゃが、と言われる。お道の信心はどこまでも真です。だから真の事を思うたらすぐ答えは出て来るんです、ね。そこに神様もヒレイじゃがとおっしゃる、生き生きとした神様の働きがね。もう金光教の信心は、もう、お供えもせんならせんでよかと、本当に楽な信心じゃと。まあそれでもいいわけですけれども、氏子が真から用へるのは神もヒレイじゃがと、神様が生き生きとして見えるんです、ね。先だってから頂く様に、ない袖はふられんというけれども、ない袖の下をふらなければ、私は生き生きとした神様のヒレイにふれる事は出来ない。
そのくらいな、いうならば根性というでも申しましょうかん、もうこれは二十数年もまあ、久富正義先生が、まあだ(??)の時分ですけどね。こんなお届けをした事を、私は今日はちょっと思い出したんですけれども、え~、やっぱりまだ土居の方で本家と一緒の生活の時分です。少しばかり百姓をしておりましたから、百姓、ま、取り上げ、稲つけといった時には、なかなかやっぱり、猫の手も借りたい様に忙しいのです、ね。そういう時に家内と二人で田んぼに出らせてもらう時に、子供はね、いつうも霊神様の前に寝かして、どうぞお願いします、と言うて行くと、もう本当に不思議に、まあ、おとなしゅう寝とります、という意味のお届けを聞かして頂いた事があるんですよ、ね。やはり子供放任して行くわけにいかんと言えば、それも人情でもあるし嘘でもないのだけれども、ね。ま、取り上げなら取り上げで忙しい時にです、夫婦で出らねばならん時にはですね、いわゆる神様にお預けをしてもらう、神様にお守りをしてもらう。ま、霊神様、その時は霊神様、霊神様にお願いをして行くと本当におかげを頂くという、そういうあり方の中にですね、その御霊様を感じる、神様を実感する事が出来れる。いうならば、良い稽古の、まあ一つの手段でもあるのですよね。特に取り次ぎ者である佐田先生夫婦の場合でもそうです、ね。その子供にかまけるという事ね、かまけるというよりは、それはもう当然の事のようですけれどもね。神様の御用と例えば二つある時には、子供の事はそれこそ神様お願いします、と言うてね、いわゆる御用の方を先にするというも実に微妙なね、だから理屈ではわからない、この辺の所はね。
真から用へるのは神もヒレイじゃが、御用という事に真を捧げるという時ね、そこには私の事、私の事はね、おいてそして神様事を先にする。理屈には合わん様ですけれども、そこにいうならば、ま、何と申しましょうかね、え~、信心の確立とでも申しましょうか、本当の信心が確立するのはそうです。忙しい事は神様も御承知じゃから、ね。お金がない事は神様も御承知じゃから、成程御承知どころじゃないけれどもね。真から用へるのは神もヒレイじゃがと言われる。忙しいね、けれども、やはりあの神様を通す。お金がない事は神様も御承知だけども、ない袖の下をふらせて頂くという様な思い、止むにやまれない思いそれが真だ。止むに止まれん思いが真なんだ。だから真から用へるのは神もヒレイ、神様のいうならば生き生きとした働きを頂けれる。まあ、宅の神様であるなら宅の神様が元気がけなさる、ね。私、この辺の所をね、まあ、信心のひとつの大事な所としてわかっておかなければいけないと思います。今日はここの所は、まあいうならばお供えの事でしょうね。寄進勤化と言われるね、だから寄進勤化をしては神は喜ばぬ、ね。親先生がお供えをせろと言われたからお供えをしたでは神は喜ばぬ。けれども段々わからせて頂いて、そうせずにはおれないという真から用へるという、そこを日頃稽古しておるのですから、ね。真をいわば追求しておる私共にとってみればです、ね、そういう所を大事にして真が出て来る。その真が神もヒレイ、神様も生き生きとして見えるんだ。おかげも勿論そこに生き生きとして頂ける事になるのです、ね。なかなか信心の大事な所です、ね。
私は今日は特に真から用へるのは神もヒレイじゃが、という所に焦点をおいて聞いてもらいました。私共は真に追求をしておるのだ。だから私共が止むに止まれんという思いで、それが真で現される時に、神もヒレイじゃがとおっしゃる、神様が生き生きとして喜びをみせ、喜びを現して下さる事になるのです。どうぞ。